昨日より 今日の自分が もっと好き!!
お互いの笑顔こそ
最高のコミュニケーション!!

脳外傷の当事者として私が体験したことをここに載せます。
その前に、僕の構音障害と感情失禁のことを説明します。話す運動器官が麻痺し、普通に話すことが出来ない事と、感情のコントロールが効かなくなり、突然泣き出したり、笑いが止まらなくなったりする事があります。

これから、普通の生活ではあまり経験しないことを話すので、皆さんにはイメージしにくいだろうと思います。でも、読んでみてください。
2004年 3月末;私は会社から帰る途中で、交通事故に会いました。その結果:小脳出血(脳外傷)を負いました。
 最初、記憶・意識障害が有りました。そのため事故のことは全く記憶がありません。(そもそもの事の起こりは)事故は、いつ、どこで、どんなふうだったか? と・・・よく自問してみます。 だけれども・・・・・思い出せません!
 救急病院で1日。 県立中央病院で約1ヶ月。伊予病院で6ヶ月入院しました。しかし、救急病院の記憶はまるで無く。県病院での記憶もほとんどありません。歩行器で歩いていた記憶がある程度です。担当看護士さんの名前さえ思い出せません。

伊予病院では、障害と症状をリハビリで治す入院生活を過ごすことになりました。
  主な障害と症状とは:歩行のバランスが悪い平衡機能障害、最初は自力で立つことさえできませんでした。 物が二重に見える複視、言語表現ができにくい構音障害、顔面の麻痺、右手の指がうまく動かない・感情失禁などのような障害がでてきました。
 右片麻痺と言う現実で、私は精神的に苦しい出来事に出会いました。手も足も顔も自分のもので無い感覚。自分を思うように表現できないという悔しさ、もどかしさ。訴えたいことが伝えられないこともしばしばありました。 できないことがあきらめにつながる。 孤立無援の感覚です・・・。 そのような経験を別の言葉で言えば「心的外傷」と言うそうです。
 
  ところが・・セラピストさんの「それでいい。」という言葉に、なぜかそれまでのフラストレーションや絶望感が吹っ切れました。その言葉は 「やってみろよ! きっと きみにもできるよ。」 そんな風に感じられました。セラピストのキャラクターと言葉に今まで悩み・迷っていた事が吹っ切れた。なぜでしょう。 あまりにも絶望的、そしてあまりにも世間から離れていたからでしょうか。幸運にも、伊予病院で、感情・気持ちが癒され始めます。 リハビリ・スタッフと病院のスタッフとの出会いからです。
「支えられた」そんな感情を持ち始めました。患者を勇気づける豊かな心・気持ち・心遣い。暖かさ。 これって ・・・・何なんでしょう。
仕事だからと言うことだけではないと感じました。 「障害なんて受け止めて跳ね返せば良い。僕たちは志や目標があれば、頑張れるのです。」 そんな元気を貰った気がします。
 伊予病院では、なかなか歩けるようになりませんでした。 歩くのにこんなに時間がかかるとは想像さえしませんでした。病棟を自力で歩けるようになるのに4ヶ月かかりました。それから、病院外を自由に散歩できるようになりましたが、そうなるまでに、初めは一人での歩行許可がなくて、妻と二人で毎日のように 散歩しました(入院中6ヶ月)。同じ階で、「うまく歩ける人」を目標に頑張ってきたからだと思います。 「歩きたい!」それが目標でした。
  入院生活で、感じたことは、自分を表現することができない事がこんなにも苦しいのか。改めて感じました。 識字教室の話を聞くたびに、僕の構音障害とイメージが重なります。辛くなってきます。去年12月4日のNHKスペシャルを見た人がいれば解かって貰えるかもしれません。「か・ん・ぱ・い!」という言葉を発するのに、4年かかった多田さんも居るのです。 その多田富雄さんとも重なります。発語できない人もいる。さらには、もっと厳しい「閉じ込め症候群」である松前町の重川さんもいる。
 障害には様々なレベル(次元)があります。 ひとそれぞれでした。 おのおの度合いも違っています。伊予病院では、それを実際に感じ取りました。
 入院中、自分がどうにかしたかったことは「視覚の異常さ」でした。そのことを主治医にも訴えました。残念ながら理解されません。自ら傷害を持ちながら、活動している山田さんの本の中に「自分の症状に必ず理由があるのであれば・・なぜ 自分がこんなことで苦しんでいるのか、原因が知りたい。」と言う言葉があります。その言葉に従うことになりました。 私もネットで自分の障害の原因を調べることにしました。
 専門は神経眼科と教えてもらいました。松山に神経眼科の医師が一人おり、去年八月、眼の手術をしました。そして、今年二月に二回目の手術をします。
 
「患者ときちんと向き合わない治療に成果は伴わない。」という言葉があります。当事者でないと・、専門の医者でないと解からないとつくづく思い知らされました。「何でも自分のことのように想像できる能力ってものすごく大切なのです。大人になっても想像力を鍛えましょう、・・・。」 この言葉は山田さんのメールです。 私の行動のきっかけとなった山田キクコさんは高松市の医者で、高次脳機能障害という障害を持って闘っている。僕のメル友です。「壊れた脳 生存する知」という本を書いた人です。入院中そして今も、この本に、山田さんにずいぶん元気をいただいています。朝日新聞に山田さんが紹介された時、実は運悪く「左手を骨折していた」のだそうです、それに対するコメント「商売柄いろいろ荒療治もやって3週間で治しました。・・・・」と言う、人間の身体を信じる考えに励まされました。
 私にとっては、挫折や無能を感じさせたこの経験が、多分大いに役立つのだと信じたいです。時には禍が福に転じることもある。つまずきが前進と同じくらい、いい結果をもたらすこともある。寄り道は無駄ではなかったとしたいです。 山田さんの前向きに動こうとする元気。病院で知り合った人、ネットで知り合った人。この経験が無かったら知り合いになれなかった人たちです。僕はいろんな人から元気を貰っているのだと感謝しています。 そして、ここでこんなことを書けるのも、ベースには家族の支えが在ったからなのです! 気負いすぎずにここまで来る事が出来たのは家族の支えがあったからだとしみじみ思います。
 社会に復帰することをこれからは目標にしていきます。「社会で何かしたい。」が目標です。 
 何かできる!志や目標があれば、頑張れるのです。前向きに自分のできることで一生懸命がんばろう。
 チャレンジ・スピリットをだそう。

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